cipolinaの甘い生活

お菓子ときどき旅

冥土の入り口、六道さんへいらっしゃい



 清水寺の西側 建仁寺の南側に、「六道の辻」とよばれる場所があります。この辻の一角に建つ「六道珍皇寺」へとやってきました。



 平安の頃まで、この付近から東のお山のあたりは鳥辺野とよばれ、亡くなった人はここで野辺送りされていたのだそうです。六道珍皇寺はこの世とあの世の境。普段は閑散としている境内も、お盆は死者を迎えるための鐘を鳴らす人で大変混雑するのだそうです。
 えー、その鐘をですね。ワタクシ知らずにゴンゴン鳴らしてしまいまして。。1つ鐘をうつと1人起こしてしまうそうで・・(呆然)。教訓・お寺の説明は最初に全部読みましょう。なむなむ(反省)。

 さて、「有頂天家族」では六道珍皇寺の井戸が登場します。世の中になんの欲も未練もなくカエルとして飄々と生きることを選んだ兄さんが、なぜこの地を選んだのか。そこのところに興味がありました。
 調べてみますと、ここは「昼は嵯峨天皇、夜は閻魔大王に仕えたという小野篁(おののたかむら)卿が冥土へ通うための入り口」という逸話が残る曰くつきの井戸。
 境内の閻魔堂には、閻魔様と並んで小野篁の像。但し書きには「閻魔庁第3の冥官」の文字。死後に赴く魂を天に向かわせか地獄へ落とすか。閻魔様の補佐役、助言役といった役割を担っていたようです。
もうひとつ驚いたのは篁(たかむら)は小野妹子の子孫にして小野小町のおじいちゃんであったということ。先日の「六角さん」が妹子さんゆかりのお寺であることを考えますと、なにやら因縁めいたものを感じるのであります。



 問題の井戸は、格子戸の隙間から見ることができます。で、でも、ちょっと遠いですなぁ。おーい。にいさーん。会いにきたよー。


 このあとは、近所の六波羅蜜寺の願い石をまわし(金文字のところから手前に三回まわすと願いがかなうとされている)、幽霊子育て飴を売っている「みなとや」さん(お休みだったけど)を見たり、六道不思議ワールドをお散歩。


しかし入り口は見つかったけれど出口はどうなっているのでしょう。出口の井戸があるのは嵯峨野の福生寺というところで、江戸後期に廃寺になったというお話。見つけるのは到底無理とあきらめていたのですが・・。

 
 見つけてしまいました。ほんとにほんとに偶然に。金閣寺から嵐山へと行く途中、大覚寺さんの前に建つ「六道の辻」の石碑。
 篁卿が出てきたという井戸は埋められ、更地になっていましたが、たしかに昔ここに福生寺(ふっしょうじ)さんがあったようです。六道珍皇寺が「死の六道」といわれるのに対し、嵯峨野は「生の六道」といわれるのだとか(「生の六道」の石碑は近くの薬師寺さんに移されています)。
 しかしひとつの旅で、生と死の入り口を見てしまうとは・・・。六道の辻はほんとうにあるのかないのか。真偽のほどは定かではありませんが、昔の人にとって「死後」の世界に対する感じ方は、今とは少し違っていたのではないか。あの世とこの世の差はもうすこしあいまいで身近なものであったのではないだろうか。とそんなことを思いました。
 
 えー、オチがつけにくくなってしまいましたが、最後はおやつでしめくくりたいと思います。写真は、北野天満宮そばにある「澤屋」さんの「粟餅」。生と死の間(はざま)、極楽浄土でのひととき。冥土のみやげはこれにしたい!? 次回はおいしい京都のお話など。

  
  
 ぽこぽこ歩きもうちょっと続きます。